【日本の建築史】実は江戸時代からある埋立地は当時どのように作ったのか
今では当然のように存在する埋立地は、実は江戸時代から存在していました。
東京都にもいくつか存在する埋立地ですが、どのように生まれたのでしょうか。
埋立地が生まれることとなった経緯と、どのように埋め立てたのかなどをご紹介します。
埋立地はどのように生まれたのか
埋立地を作るには主に3つのパターンがあります。
- 浅瀬に土砂を入れて土地を広げていく
- 海に土砂を入れた新しい「島」を作る
- 湿地帯や沼などに土砂を入れて埋める
この中でも3つめのパターンが一番多く行われています。
全く新しい島を作るパターンは技術的にも難しいため、歴史的にはまだ新しいパターンです。
始めて埋め立てで作られた島は1173年に平清盛が日宋貿易の拠点として作った「経が島」です。
しかしこの当時は工事が難航し、何人もの方が犠牲になったといわれています。
埋立地が多く作られるようになったのは江戸時代になってからです。
当時、日本の中心となった江戸では爆発的に人口が増えていました。
それに伴い、ゴミも大量に発生することとなりました。
このゴミを処理するために江戸幕府は埋立地を作るようになったのです。
東京湾に埋立地が増えたわけは
人口の増加に伴うゴミの増加によって東京湾には埋立地が増えることとなりました。
またその背景には、東京湾の地理的な条件も関係しています。
東京湾は2~4mの浅瀬が続き、埋め立てがしやすい地形でした。
また浅瀬が続く東京湾は港を作ることに向いていなかったため、どんどん埋立地が増えていったとも考えられています。
さらに埋め立てに使う土砂が手に入れやすかったことも関係しています。
関東地方は地層の関係で、東京湾に土砂が大量に流れ込んでいました。
また城の堀を掘ったり、川底を深くしたりなど江戸の町の整備が多く行われており、土砂が大量に発生していたのです。
これらを処理するために、埋立地を作ることが適していたため、大量に埋立地が増えたとされています。
また近年にかけてはさらに増えた人口の、居住地確保のため、さまざまな場所に埋立地が作られました。
特に終戦後からは物流の拠点としても埋立地が活用されています。
近年では埋立地の地域で多くのマンションが建設されるようになりました。
シーサイドとして景色が良く、居住エリアとして人気があります。
江戸時代から続く埋立地
埋立地自体は古代から存在していましたが、一般的に多く作られるようになったのは江戸時代以降とされています。
地域の人口増加やゴミの増加などに対応するために作られました。
現代でも活用されることが多く、人々のニーズにこたえています。
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